元亀2年(1571年),摂津国内で対立していた和田惟政・茨木重朝連合軍と荒木村重・中川清秀連合軍は西国街道上にある白井河原にて対峙する。
この際,和田・茨木連合軍は幣久良山へ,荒木・中川連合軍は馬塚に陣取った。
この戦いは,和田・茨木連合軍は約500騎,荒木・中川連合軍は約2500騎以上と兵力に差が大きいもので,そのため,和田惟政と茨木重朝の主将両名が討ち取られてしまう戦いとなった。
また,主戦死後,残された兵士達は玉砕覚悟で進出,ついには全滅を遂げ,白井河原は唐紅になる程,多くの血が流されたのだという。
そして現在,戦場跡とされる幣久良橋付近周辺においては,その際の犠牲者と思われる武士・侍の幽霊が目撃されているのだそうである。