1 概要
南山街道にある飯寺村の傍らの右の方にある田んぼの中に大壇があり,その上にさらに大榎が生えている。これを慈現院壇といい,かつて慈現院という山伏が生きながら入定した所とのことで,そのためこの名が付いたと言う者もいる。今でも深夜に訪れると,塚の中にほら貝を吹く音が聞こえるという。
この塚の東向かいに五輪があり,これを青五輪という。この五輪が夜な夜な化けて,慈現院より青五輪までの間に一面鉄の網を張り,往来の人を妨げていた。
ある夜更け過ぎ,南山の男がこの場所を通ったところ,六尺あまりの大山伏と,同じ高さの黒入道が口より火を噴き出し,鉄の網を張り,その網の中に稚児法師や女童の首がいくつもかかっており,その首が,男を見てにやりと笑った。
この男,元来不敵な者で,これを見て走りかかり,大入道の頭上てっぺんを強かに切りつけたところ手ごたえがあり,網も山伏も消え,深夜の闇に戻った。
その後夜が明け,その男が夕べ歩いた道筋を訪れると,青五輪の天窓半分が切り砕かれ,しかも血の色が少し付いているのが見えた。これより,切りつけた刀を「五輪砕」と名付けて秘蔵したという。
2 解説
飯寺村は現在の会津若松市門田町大字飯寺村(東)が,南山街道は「会津西街道」(現在の県道131号線や国道121号線に沿った道。)が該当するものと思われる。
五輪(五輪塔)が化けるという話を奇妙に思われるかも知れないが,比較的五輪に関連する怪奇現象話は多く存在している。五輪自体,供養塔や墓としての性質を持つことから,怪異を起こすと思われていたのかも知れない。
なお,この青五輪が現存するかは,残念ながら定かではない。