福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

下郷ホテル(南会津郡下郷町)

令和2年1月23日 改訂

1 概要

 会津若松市方面から国道121号線を利用して南会津郡田島町方面へ走行すると,途中,左手側に国道118号線(岩瀬郡天栄村須賀川市方面)に入るT字路がある。
 ここで国道118号線へ進路を変え,国道121号線と並行して流れている阿賀川に架かる橋を渡ると,すぐに左手側に廃墟が見えてくる。この廃墟は通称「下郷ホテル」と呼ばれている場所である。

 廃墟とは言え,敷地内に入るのは大人の事情から憚られるため,敷地外から建物を眺めてみると,外観自体は大分しっかりしているように見え,とても廃墟化しているようにはとても思えないのだが,近付いてよく観察すると,建物の所々が傷み崩壊し,長い間放置された結果廃墟化していることがよく分かる。

 さて,この手の廃墟にはどうしても怪談話がつき物と思われるが,同ホテル跡地も,この近辺では高名な心霊スポットであると噂されている。
 確認できる怪談話としては,同ホテル内においては,戊辰戦争時代の人物と思われる武士(兵士?)の幽霊が複数現れた,また,その幽霊に襲われた,などというものがある。

2 解説

 国道118号線や国道121号線は私もよく利用する道路で,同ホテル前ないし周辺を何度か通行したことがある。あまり意識して見たことはなく,単に何か建物があるな,程度にしか認識していなかった。

 「下郷ホテル」という名称で噂されている同ホテルだが,かつて,営業していた頃の正式名称は「湯野上観光ホテル」で,周辺に存在する湯野上温泉の源泉を引き込んだ,温泉付きの観光ホテルだったようである。

 同ホテルの歴史について調べてみたところ,昭和56年(1981年)頃に開業したものの,原因は不明であるがわずか2年で閉業,昭和58年(1983年)頃から建物が放置されているらしく,その後,平成11年(1999年)と平成19年(2007年)に不審火があった模様である。

 それ程悪い場所にある訳でもなく,仮に現在も営業をしていたのならば,周辺にある大内宿等の観光地を巡るための基点になる場所となったと思うのだが,なぜ僅か2年で廃業したのか(しかも廃業後,営業を引き継ぐ者がいなかったのか。)気になるところである。もしかすると,何か「いわく」のある土地柄なのだろうか。

 余談であるが,以前,会津若松近辺出身の同僚から,「下郷方面にかなり危険な心霊スポットがある」と聞いたことがあり,それがまさに,同ホテルを指していたと思われる。少なくとも,地元住民からも,心霊スポットと認識されているのは事実である。


 さて,同ホテルでは,上記のとおり,戊辰戦争時と思われる武士の霊が現れるとされている。戊辰戦争というと,どうしても会津若松市にある鶴ヶ城攻防戦や白虎隊の悲劇を想像してしまうが,下郷町付近でも,細々とした戦闘が行われていたのは事実である(下郷町にある有名な「大内宿」は焼き討ちに遭う寸前のところ,当時の同村の名主が両軍の将に掛け合い,何とか戦火を免れた結果,現在貴重な景観が残されている。)。同町には,現在も戦死者の墓など,戊辰戦争に関する史跡が存在しているのがその裏付けである。

 同ホテル付近で戦闘が行われたかどうか,残念ながら不明であるが,その可能性は大いに高いのではないだろうか(特に,同ホテルは道路沿いの要衝にある(この付近の道路は現在国道であるが,昔から使われていた道路が国道化した可能性は高い。)。特に,国道118号線は,中通り方面から進行することができるため,旧幕府軍側は陣地を構築していた可能性はある。)

 同ホテルに現れるとされる幽霊が,新政府軍側か旧幕府軍側かは不明であるが,早く成仏されることを願うばかりである。

令和元年8月24日追記

 下郷ホテルの写真を撮影したので追加掲載する。

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 敷地内に入ると問題があると思われるので、道路側から撮影した。

 なお、今回撮影はしていないのだが、この廃墟の近く(具体的には、阿賀川を渡る手間付近)に慰霊碑が置かれていたのを発見した。
 一瞬、阿賀川に架かる橋の関係の慰霊碑かとも考えたが、それ以上の文字などは見えず、結局何の慰霊碑かは分からずじまいであった。