1 概要
田子倉湖は,南会津郡只見町を流れる只見川に設けられた田子倉ダムによりできたダム湖である。
なお,田子倉ダムは昭和28年(1953年)着工,昭和35年(1960年)竣工で,発電量は日本第2位の出力を持つ巨大なダムである。
日本有数の豪雪地帯にある同湖は,巨大化したイワナやヤマメ(サクラマス)を狙うことができるほか,手付かずの自然が残されている景観も美しい場所で,遊覧船で周辺の風景を展望することもできる湖でもある。
美しい景観を持つ同湖であるが,その美しさにそぐわない奇怪な噂はある。
まず,ダムを建設するに当たり,人夫として囚人を用いた,さらに,誤って転落した人夫がいた場合,そのまま人柱にしたという噂がある。
また,同湖では自殺者が多く,同湖付近では女性の幽霊の目撃談や,ダムの展望台で心霊体験をした者がいると言われている。
2 解説
私は同湖には,ダムカードをもらいに,また,ドライブのついでに何度か訪れたことがあるが,大自然の中に巨大なダムがそびえる景観は非常に圧巻であった。同湖付近にはドライブインも整備され,美しい自然を見ながら食事をし,心を癒されたという思い出がある。
さて,上記の話であるが,まずダム建設に囚人を用いた,という点であるが,すでに書いたとおり,同ダムは戦後着工されたもので,戦前の明治や大正時代ならともかく,戦後に囚人を用いたというのは考えにくいと思われる(なお,囚人を用いて道路を作ったとされる北海道の北見峠-網走までの道路が開通したのが明治24年(1891年),タコ部屋労働者を人柱にしたという話で有名な北海道の紋別トンネルは大正3年(1914年)に開通している。)。
ただ,豪雪地帯での作業があることや,現在のように重機資材が抱負でなかった頃から,過酷な工事の中で死者が出たこと自体は想像にがたくない。
なお,只見町を通る国道252号線は若干道の細い道路で,特に新潟-只見間は冬季は通行止めになるなど難所であるが,田子倉湖付近を含め,いくつかの心霊現象が噂されている道路でもある。まだまだ知られていない「いわく」があるのかも知れない。
令和元年8月25日追記
過去に撮影した田子倉湖の写真を追加掲載する。
下流部から見たダムの全貌。その巨大さがよく分かる。
ダムの上から下流部を撮影した写真。
田子倉湖の様子。あまりに大きいため写真に収まらない。
令和元年11月13日追記
令和元年11月13日付け毎日新聞に,次のような記事が掲載されていたのでご紹介する。
その記事は,過去,宮城刑務所から囚人をダムの工事現場に駆り出したというもので,福島県においても,1951年(昭和26年)に,只見川に片門ダム(河沼郡会津坂下町)を皮切りに,上流に向かい計6つのダムの工事を手がけたとのことで,そのうちの一つに,この田子倉ダムが含まれているとのことである(なお,最盛期(1958年(昭和33年)には,1日約1000人が働いたという。)。
この工事で働いたのは,改善が比較的困難な「B級」の者とのことだが,働きぶりはよく,逃走なども少ないなど,大きな問題は発生しなかったとされている。
しかし,劣悪な環境で働いていたのは確かなようで,宿舎は「荒涼たる冬の山峡に急造の生木で作ったバラック建。寝具を乾燥する術もない。」ようなもので,休みは多くて月2,3日,月1回の映画鑑賞などの余暇もあったようではあるが,「冬季は約一丈(3m)余の積雪と氷点下20度を超える厳寒,夏季は焼くがごとき猛暑。苦労は筆舌に尽くせぬと思慮される」ものであったという。
なお,田子倉ダム工事の時かどうかは不明であるが,南会津での工事の際,囚人7人が発破の爆風や転落により死亡したほか,障害を負うほどの怪我をした人もいたという。刑務官も3人死亡したといい,その困難ぶりが伺える。
最後に,この只見川でのような「構外作業」は戦後多く行われていたようで,農耕,ダム工事などの土木,森林伐採,製炭,製塩などが行われたという。これは,戦後の社会混乱の中犯罪が増加し,刑務所が過密状態になったためとのことで,全国にも田子倉ダムのような囚人が手がけたダムがいくつか存在しているとのことである。