福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

江戸城(東京都)

 江戸城は言わずとしれたかつての江戸幕府の拠点,徳川氏の居城として使用されてきた城で,明治2年(1869年)以降は皇居として使用されている。

 元々,同城は康正3年(1457年),扇谷上杉氏家臣・太田道灌が築城したものである(なお,道灌が築城する以前の鎌倉時代に,江戸氏がこの地に館を築いてたそうである。)

 戦国時代に入り,徳川家康が関東に入封し,慶長8年(1603年)に江戸幕府を開いてからは天下普請を行い,壮大な江戸城が完成する。
 しかし,明暦3年(1657年)に発生した明暦の大火で天守が焼失すると,町の再興を優先,以後,天守は建てられることはなかった。

 徳川将軍家の,そして現在は皇居として機能している同城だが,昔から怪奇現象が多発していたのだといわれている。

 例えば,宝永6年(1709年)正月深夜,
 「よきもあしきも三月限りよ 末はお江戸の花ざかり」
 という,前年,江戸で流行していた童謡が城内で繰り返し聞こえ,それが当時の将軍・徳川綱吉の耳にも聞こえてきた。

 綱吉が調査を命じると,その原因は無数の狐狸が唄うもので,矢を放つと即座に狐狸達は逃げ出した。
 激怒した綱吉は狐狸の追討を命じて再び眠るが,今度は北の方角で大砲を撃つような音が何度も響いた。
 翌朝調べてみると,将軍やその御台所(正室)が死亡した時に使用する不浄門が壊されていたのだという。

 そして,一連の奇怪な出来事が起きた翌日,突然,綱吉は吐血,絶命してしまう。
 しかも,翌月には御台所までが他界したため,町の人々は,一連の出来事は何かの予兆だったのではないかと噂したのだという。

 また,文政年間(1818~1830年),「あらし」という名の女中が行方不明になる事件も発生した。
 いくら探しても見当たらなかったのだが,3日後,天守台の下で番をしていた者の頭上から,「あらしはここに,ここに」という奇妙な声が聞こえてきたかと思うと,あらしの死体が逆さまに落ちてきた。
 その死体は全身を掻き毟られたかのように血塗れで,目を覆う有様だったという。

 この文政年間(文政4年(1821年))には,「おりう」という女中も行方不明になる事件があり,4日後,乗物部屋にある駕籠の1つから血塗れの姿で発見された。

 天守台にしても乗物部屋も,普段誰もいるような部屋ではないため,なぜこのような事件が起きたか,分からなかったそうである。

 同城内では上記のような不審死だけではなく,時折,自害する女中も出てきたそうであるが,そのためか,城内では幽霊が目撃される例もあったそうで,大奥宇治の間では嘉永年間(1848~1854年),第12代将軍家慶が幽霊を見たといわれている。

 このほか,城内には七不思議などが存在していたといわれるほど,同城は不気味な,まさにミステリースポットの宝庫だったようである。