奈良県に存在した十市城には,「ジャンジャン火」と呼ばれる怪火が現れるという伝説がある。
これは,同城の城主である十市遠忠が,信貴山城主の松永久秀に攻め落とされ,遠忠以下多くの兵士が,火の手の上がった城と共に,久秀を恨みながら戦死したのだという。
その後,遠忠らの恨みが同城に残り,成仏できないまま火の玉となり山上に現れるようになった。
そして,この火の玉を見た者は怨霊の祟りとして三日三晩熱病に浮かされる,火の玉が人を取り巻いてその者を焼き殺す等と言われている(ジャンジャン火の名前については,殺された者達が「残念,残念」と言うのが「ジャン,ジャン」と聞こえた,ということに由来するとされる。)。
ところで,この話に関しては,複数の疑問点がある。
まず,この話は,奈良県天理市に伝わる話であるが,その話において,十市城は「龍王山に築かれた」城としている。
この点,龍王山には,遠忠が築城した「龍王山城」が存在する(別名十市城)があるのだが,同県橿原市にも十市氏が居城とした「十市城」が存在しており,どちらがジャンジャン火の舞台なのか少し疑義がある(ただ,話の流れからすれば前者の龍王山城が舞台と思われる。)。
次に,十市遠忠についてであるが,同人は実在した人物であるが,実は戦死はしておらず,天文14年(1545年)に病没している。
遠忠を討ち取ったとされる松永久秀については,信貴山城を拠点としたのは永禄3年(1560年)頃のことで,物語の時代背景に多少語弊が生じている。
ただ,久秀が大和国を侵攻したのは事実(永禄2年(1559年)頃)で,遠忠の子・遠勝が久秀の侵攻に抵抗していたようである(龍王山城が久秀の持城になったこともある。)。
しかし,史料上,十市氏が久秀に討ち取られたような形跡が残念ながら見当たらず,なぜこのような話が出来たのか,その理由や背景についてはよく分からないといわざるを得ない。