鹿児島市内,県立博物館近くにある照国神社は,江戸時代の藩主である島津氏を祭神とする神社で,文久3年(1863年)にまず鹿児島城内に祠を建てた後,翌年にかつて東照宮が建てられていた現在の場所に社殿を造営,照國神社と称したのがものである。
比較的創建の歴史の浅い神社なのであるが,この地を訪れた者の中には,老婆の幽霊の姿を目撃した,また,地中から沢山の手が出てくる様子を心霊写真として撮影した等という話が伝わっている(なお,近くにある公園(城山公園のことと思われる。)でも同様の事例が発生するという。)。
一説には,同神社には,複数の人が埋まっているとまことしやかに伝えられているようである。
同神社は,明治10年(1877年)に発生した西南戦争の最終戦闘地である城山の近くにあるほか,鹿児島県自体,昭和20年(1945年)の鹿児島空襲にて3000人を超える戦死者が出た場所である。
これらの犠牲者の遺体を同神社敷地に埋葬等したという可能性もあり,それらの霊が浮かばれない・・・等とも考えられるが,その真相は不明である。