旭川市にはかつて,旧日本陸軍第七師団が設置されていた。同師団は北方の守りを担う重要師団であり,道民からは畏敬の念を含め「北鎮部隊」と呼ばれていたのだという。
同師団では,日露戦争やシベリア出兵,ノモンハン事件等に動員されているが,その中でも,第二次世界大戦中にも,同師団から部隊が動員されている。
昭和17年(1942年),同師団中の一木支隊(一木清直大佐)が約900名の兵員でガタルカナル島に上陸するも,同島で待ち構えていたアメリカ軍の攻撃を受け壊滅,一木支隊長も戦死してしまう。
しかし,その全滅したはずの一木支隊が,何事もないように旭川の町を行軍,第七師団の営門に帰還したというのだ。
この姿を目撃した市民も多く存在していたそうで,当時,町は一木支隊の戦勝と凱旋に大きく沸き上がった。
ところがこの翌日,一木支隊全滅の訃報が町へと届けられた。
先の凱旋を見た市民の中にはその報が信じられず,師団に真偽を確かめる者も多く居たのだという。
そして,この後も,行軍する支隊の幽霊の姿は幾度が見られたといい,自衛隊基地(旭川駐屯地と思われる。同駐屯地は旧練兵場跡に建てられている。)となった現在でも,現職自衛官の中にはその姿を目撃した者がいるとされている。