福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

心霊スポット候補地(その7)

 今回,心霊スポット候補地としてご紹介する場所は「会津若松市」である。

 会津若松市と言えば旧城下町であり,現在も復元天守閣ではあるが鶴ヶ城を初めとする旧藩政時代の遺構が数多く残る場所である。

 その会津若松市であるが,慶応4年(1868年)旧暦8月23日から9月22日にかけ,戊辰戦争の一つ,会津戦争の舞台として,新政府軍と旧幕府軍奥羽越列藩同盟軍)との間で熾烈な戦いが繰り広げられている。

 この戦いでは,両軍の兵士は当然のこと,会津側では著名な白虎隊士や娘子軍の戦死や自刃する事態が発生したほか,非戦闘員である女子達が自刃する事態や新政府軍側による陵辱行為までなされたとされている。

 (なお,戦後,旧幕府軍側の戦死者の遺体は埋葬されることも許されず,そのまま放置されていた,という説もあるが,現在はそれを否定する文献も存在するようであり,真相については定かではない。)

 実際,かつて,同市内にある官公庁勤務の方に聞いた話であるが,その方の勤め先は元武家屋敷であるのだが,宿直中等に幽霊の目撃談があったという。
 今もまだ消えない恨みが同市内に存在していてもおかしくないのではなかろうか。

 なお,余談であるが,現在も会津の人の中には,この戦いの結果,新政府軍側(特に薩摩・長州)に一方的に朝的,賊軍扱いをされたことを恨みに持つ人がいることで有名である。

 それならば,尚更,会津戦争での犠牲者の中にも,同様に恨みを抱いて現世に残る魂魄というものがあっておかしくないようにも思っていた。

 ただ,この「薩長憎し」という考え方が出来始めたのは第二次世界大戦後に造られた「観光史学」の影響が強いとされている。

 また,当時の会津藩の農民階級は,会津藩の圧政に大変苦しみ,会津藩降伏後,その不満から一揆を起こす程であったという。

 これらの事実から考えると,旧幕府軍側の戦死者のうち,武士階級の者であれば新政府軍側に恨みを抱くこともあるのだろうが,農民や商工業階級の者であれば,むしろ旧幕府軍指導者側に恨みを抱いていたのではないだろうか(そして,どちらも「恨みを抱いている」等の理由で,幽霊として現世に留まる可能性はあるようにも思うところである。)。