広島県庄原市東城町にある粟田には八反坊の伝説が伝わる。
江戸時代,この地には,八反坊という名の情け深い公事人がおり,欲深な庄屋と意見の対立からよく衝突をしていた。
ある時,業を煮やした庄屋が八反坊を無実の罪に陥れ,彼を処刑しようとした。
処刑前夜,八反坊の牢の前に集まった村人達に対し八反坊は,「わしを,庄屋の家がよく見える場所に埋めてくれ。呪って,呪い尽くす。」と遺言した。
村人はその遺言通り,八反坊の亡骸を指定された場所に埋めたところ,庄屋の家はよくないことが続き,昭和初期になると,ついには一族が途絶えたのだという。
その後,八反坊の墓所は呪いのメッカとなり,今も供え物が絶えず,呪いの願掛けに訪れる者は現在でも存在すると言われているのだという。