瀬戸内海に浮かぶ煙島は現在,禁足の地として容易に立ち入れない場所とされているという(また,現地の漁師も容易に近付かないのだという。)。
この島にはとある首塚があるが,その首塚には次の悲しい伝説が残る。
寿永3年/治承8年(1184年),源氏と平家の間で繰り広げられた一ノ谷の合戦の折,源氏方の奇襲を受けて平家方が劣勢となると,平清盛の弟・経盛の末子である平敦盛は騎馬で海上の船へと逃げようとする。
その後を,源氏方の武将・熊谷直実が,
「敵に背中を向けるのは卑怯である,戻られよ」
と呼びかけたため,敦盛は取って返すと直実は敦盛に組みかかり馬上から落とし兜を取り上げると,そこには自身の子供・直家と同じ年頃の美しい若者の姿があり,首を取るのを躊躇してしまう。
直実は命を助けようと名を問うが,敦盛は,
「我はお前のためには良い敵,名乗らなくても首を取り人に尋ねよ」
と言うばかりなため,直実は仕方なく敦盛の首を掻き切った。
後,敦盛の首は父・経盛の元に届けられ,経盛はある小島で荼毘に付した後,首塚を築いたのだが,その荼毘の最中,島から煙が立ち伸びたことにちなみ,「煙島」と名付けられたのだという。
つまり,煙島には平家の公達である平敦盛の首塚が残る場所であり,そのため禁足の地とされているのだが,もう一つ理由を挙げるとするならば,同島を訪れる際,供養の品を持参しないと祟られる,また,首塚に触っても祟られるなどという噂があるためである。
若くして命を落とした敦盛の祟りが今も行き続ける島なのかも知れない。