それは天正18年(1590年)、即ち戦国時代の話である。
この当時、「独眼竜」で有名な伊達政宗が福島県内を席巻、その領土を拡大していた。
当然、福島県内に所領を持つ在地領主は激しく抵抗したが、その中に、福島県浜通り地方北部を領する相馬氏がいた。
実は、相馬氏と伊達氏は一時期婚姻関係にあったが、伊達稙宗(政宗の曽祖父)の時代に発生した「天文の乱」の後、伊達氏と相馬氏の関係は極めて悪化していたのだ。
そして天正18年、伊達氏と相馬氏との間で合戦が行われた。
場所は福島県相馬市石上付近で、地名を取り、「童生淵の戦い」、「小豆畑の戦い」などと呼ばれている。
ところでこの合戦であるが、相馬氏では当時の当主・義胤の弟である隆胤が軍勢を率いて戦った。
隆胤は血気盛んで勇猛な武将と伝わるが、反面、慎重さに欠ける性格でもあったらしい。
彼は劣勢の中伊達氏の軍勢へと突撃を敢行、しかし、愛馬が深田のぬかるみに囚われている最中、ついに伊達氏の兵士により討ち取られてしまったのだという。
先祖の代より宿敵の伊達氏に討ち取られた隆胤。その無念の思いはいかほどばかりであったであろうか。
地元民でも相当郷土史に詳しくないと分からない歴史であるが、しかし、合戦が行われたのは確かであり、現在も史跡(隆胤公首洗いの池)が存在している。
また、合戦が行われた相馬市周辺では、真偽は不明(生憎私には霊感がない)であるが、鎧武者と言った合戦に関連するような幽霊が現れる場所もあるとされている。
隆胤もまた、もしかすると今もなおこの世を彷徨い・・・と思わずにはいられないのだ。