石神井城はかつて,東京都練馬区に存在していた城で,石神井川と三宝寺池(石神井公園内にある)を起点に伸びる谷との間に挟まれた舌状台地の上に存在していた。
同城の詳細な築城時期は不明で,一般的には室町時代後期,同地に勢力を有していた豊島氏が築城したものと考えられている。
豊島氏は平安時代以来,同地において名族としてその名を馳せていた。
しかし,新興勢力である扇谷上杉氏家宰・太田氏と対立を深めるようになり,文明8年(1476年),山内上杉氏(関東管領家)家宰・長尾景春が反乱を起こすと豊島氏は景春側に与し挙兵する。
これに対し,文明9年(1477年),太田氏当主・太田道灌が豊島氏を攻撃,豊島氏当主・泰経は石神井城に寄り戦うが敗北,泰経は行方不明となり豊島氏は滅亡,同城もこの時期廃城となる。
ところで,同地には豊島氏に関する伝説がいくつか残されている。
まず,同城が落城する際,泰経は白馬に先祖伝来の黄金の鞍を背負わせ,三宝寺池に共に身を沈めたのだと言われている。
また,泰経の娘・照姫は父母の後を追いやはり同池に身を沈めたとも伝えられている(なお,この話は,明治29年(1896年)に作家の遅塚麗水が著した小説「照日松」が流布したものとされている。)。
同池には主とされる大蛇,また,龍が棲んでいると言われているそうであるが,そもそも同池は南北朝時代,練馬将監善明という人物が戦に敗れ同地に来た際,深田に馬の足を取られ進退窮まる状況の中,敵の矢を受けまるで蓑を着た状態になりながら,憤怒の表情を浮かべ自刃,その後幾年か経過した後,忽然と水が湧き出して池となったと言われている,不気味な謂れがある場所でもある。
なお,ここまで記したのは伝承として伝わるものであるが,現在の同城(と,言うより同池)では,ワンピースを着た現代風の女性の幽霊が池から浮かび上がる,心霊写真が撮影されるなどという噂があるようである。
何か事件・事故が発生し,それにより命を落とした方が今も現れるのかも知れないが,詳細は不明である。