小浜城は福井県小浜市に築城された,別名雲浜城と呼ばれた海城である。
同城は,慶長6年(1601年),前年に発生した関ヶ原の合戦の戦功を認められた京極高次により築城が開始される。
工事は順調に進められたのだが,何故か石垣を組む作業に取り掛かると,おかしなことに何度組んでも石垣が崩れる自体が発生する。
そこで,高次は城下町の組屋六郎左衛門を呼び,町娘を1人,人柱に出すよう命じた。
六郎左衛門は1人,この命をどうするか思い悩んでいたが,それを見た娘が人柱になることを志願,ついに城の礎となり,同城は完成することになる。
京極氏は寛永11年(1634年),出雲国に転封となり,同地には徳川氏譜代・酒井忠勝に与えられる。
ところが,忠勝が城主となると,夜回りをしていた家臣の間で,蜘蛛手櫓近くの石垣で女のすすり泣く声が聞こえてくるという噂が広まった。
そこで,忠勝は,家臣・三浦帯刀に調べさせたところ,築城時の人柱の一件を知り,帯刀に命じ地蔵菩薩を掘らせて石垣の前に安置させたところ,その日から女のすすり泣く声が聞こえることはなくなったのだという。
そして,酒井氏における同地の当地はその後,幕末まで続くことになるのである。
ただ,同城は,上記の人柱の話以外にも,戦国時代にこの地で発生した合戦の戦死者(具体的にどんな合戦かは不明),また,江戸時代に反抗して処刑された40人の怨霊が今もこの地に蠢いているのだと言われているそうである。