新井城は神奈川県三浦市に存在した,標高約26mの岬状の高台に築かれた城である。
築城年は不明であるが,同城は,平安時代から続く相模三浦氏の居城であった。
しかし,由緒正しい三浦氏の前に立ちはだかったのが,関東に勢力を伸ばし始めていた北条早雲で,永正9年(1512年),三浦氏の領内に侵攻,次々と城を攻略し,ついには本拠地である同城を囲い込む。
これに対し,三浦氏当主・道寸は籠城,三方を海が囲み,防御に強い同城の特性を生かして実に3年もの間耐え切るが,ついには力尽き,永正13年(1516年),道寸は自害して果てる。
この際,早雲は徹底的な殲滅作戦を指示,三浦一族は皆殺しにされた上海に沈められたといい,そのため,海一面が血に染まり,まるで油を流したかのように見えたことから,「油壷」という地名がついたのだという。
その後,同城は北条氏により使用されていたようだが,天正18年(1590年),豊臣秀吉の小田原征伐の際,廃城とされたのだという。
さて,上記のように,大量の血に染められた同城付近では,今も落ち武者の幽霊が目撃されると言われているほか,同寸の命日(7月10日)に海に入ると,三浦氏の怨霊に海底に引き込まれると言い伝えられているのだという。
最後に,道寸が自害したのが1516年7月10日虎の刻。
その後,北条氏四代目当主・氏政が秀吉に敗れ自害したのが1590年7月10日虎の刻のことなのだといい,これは同寸の怨霊の祟りとも言われているそうである。