福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

田峰城(愛知県)

 田峰城は愛知県北設楽郡設楽町にそびえる笹頭山中腹に存在していた山城で,別名蛇頭城と呼ばれていた。

 同城は文明2年(1470年),菅沼氏により築城されたものである。
 さて,菅沼氏の当主が菅沼定忠の時代である永禄4年(1561年),定忠は徳川家康に所領を安堵され同城の城主となる。
 しかし,定忠は元亀2年(1571年),家康に反旗を翻し武田信玄の配下となる道を選択する。

 そして,信玄没後,その跡を継いだ武田勝頼天正3年(1575年),長篠の戦いで織田・徳川連合軍に敗北すると,定忠は勝頼を田峰城へ伴い慰労する予定であったが,同城を留守居する親族・菅沼定直,家老・今泉道善が入城を拒絶,それどころか勝頼一行の身柄が拘束されそうになったため,同城の北にある武節城までの更なる逃避行を余儀なくされた。

 この,入城拒否という辱めを怨みにした定忠は,翌年,田峰城を奇襲(早朝奇襲したとも夜襲とも),定直や道善だけでなく城内にいた老若男女96人を惨殺(生きたまま鋸引きの刑にしたとも。),その首は城内に晒されたのだという。

 その後,天正10年(1582年),武田氏が織田氏の手により滅ぼされると,定忠は家康と戦い敗北,討死し菅沼氏は断絶,その際田峰城もまた廃城とされたとのことである。

 現在,同城には本丸御殿や大手門などが復元されているが,その中に,上記した惨殺事件時,首を晒したとされる場所に首塚が残されている。
 そして,このような過去が存在するためか,同城は心霊スポットであると噂もされているようである。
 ただし,どのような現象が起こるかまでは不明で,上記事件のインパクトの強さが,この地をして心霊スポットであると思わせているという可能性も否定できない。