福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

岡山城(岡山県)

 岡山県岡山市に存在した岡山城は,その黒色の外観から別名烏城,金烏城とも呼ばれている平山城で,昭和62年(1987年)に国の史跡に指定された城である(昭和6年(1931年)には,天守が当時の国宝に指定されたものの,その後戦災にて焼失している。)。

 同城は,南北朝時代の正平年間(1346~1369年),上神氏により築城されたものとされている。
 その後の詳細は不明であるが,戦国時代に入ると,宇喜多直家が同地を支配していた金光宗高を元亀元年(1570年)に謀殺,代わりに自らが支配し,さらに天正元年(1573年)に同城に入城,城下の整備を開始した。

 直家の子・秀家の時代になると,豊臣政権より57万石の大大名となり,天正18年から慶長2年(1590~1597年)にかけて大大名に相応しい城への改修が行われる(この頃,「岡山」の名が付けられたのだという。)。

 しかし,慶長5年(1600年)に勃発した関ヶ原の合戦において,秀家は西軍主力として奮戦したため戦後八丈島に流刑,同地には東軍に付いた小早川秀秋が入封するも,2年後の慶長7年(1602年),秀秋は若くして病没してしまう。

 この後,池田氏が同地を支配,岡山城を同藩の藩庁として明治維新まで使用することとなる。

 ところで,宇喜多秀家の後,同城に入城した小早川秀秋は,関ヶ原の合戦の際,本来西軍の立場にいたが事前に東軍に内通,開戦当初は日和見の立場を保つものの徳川家康の催促により東軍に寝返り,西軍の大谷吉継の部隊を壊滅させている。

 この際,吉継は,「人面獣心,必ず3年のうちに呪い殺す!」と秀秋に対し呪詛の言葉を吐き自刃したといい,実際,秀秋は関ヶ原の合戦から3年以内に死亡しているが,これは,秀秋が吉継,また,石田三成の亡霊に祟られたのだとも言われている。

 また,同城入城後,何かと奇行乱行の多い秀秋に対し,家臣・杉原重政は諫言するも,秀秋は逆上しついには上意討ちにしてしまう。

 ところが,不思議なことに,重政(またはその子供)を殺した部屋では,飛び散った血痕をいくら拭いても血の跡が消えず,その部屋に入った者の中には変死した者もいるのだという。
 ついにはこの部屋は開かずの間とされたが,秀秋には上記の吉継や三成に加え,重政の亡霊も現れるようになり,ついには祟り殺されたのだとも言われている。

 もしかすると,現在の岡山城にも,彼らの怨念が残されているのかも知れない。