湯沢市にある院内銀山は,慶長11年(1606年)に発見・開山された鉱山で,江戸時代を通じて日本最大の銀山として,そして久保田藩(秋田藩)の重要な財産源として管理されてきた。
鉱山の最盛期には戸数約5000,人口約15000を数えるようになり,その数は城下町である久保田をも凌駕する大規模な街を形成,繁栄を誇ったのだという。
明治時代以後の院内銀山は明治政府が管理し,明治14年(1881年)には明治天皇が行幸もされたが,その後民間に払い下げられた後,国際情勢の変化により銀の価値が暴落,採算が取れなくなり規模を縮小,細々と採掘を行っていたが,昭和29年(1954年)に閉山,約350年に渡るその歴史に幕が降ろされた。
現在,院内鉱山には目立った建物はなく,金山神社と坑道(危険なため立入禁止)が残るほか,約3000基にものぼる墓石が残されている。
訪れる者は当然少なく,夏場,若者達が肝試しに訪れているということなのだが,そのような者の中には,本当に心霊体験をしてしまう者が多いのだという。
噂によると,墓地の前にひざまずく着物姿の女性の幽霊や封鎖された坑道の中に消える作業着を来た男性の幽霊の目撃例がるほか,停車していた車を外側から叩く者がおり,後で調べてみると無数の黒い手形がついていたという怪奇現象があるのだという。
鉱山での仕事は,落盤事故のほか,粉塵の影響による肺病で数多くの人間が命を落とす過酷なものである。
同山には,そのようにして亡くなられた魂が未だ浮かばれず彷徨っているのかも知れない。