福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

駿府城(静岡県)

 静岡県静岡市に存在していた駿府城は,別名府中城や静岡城と呼ばれる平城で,現在は本丸跡と二の丸跡が「駿府城公園」として整備されている。

 同城には元々,駿河国守護に任じられた今川氏が築城した今川館が存在し,今川氏は同館を拠点に駿河国の支配を実施していた。
 しかし,永禄11年(1568年),武田信玄駿河国に侵攻すると今川氏は逃亡,この際,今川館も消失してしまう。

 武田氏の侵攻により駿河国は武田氏の支配化となるが,天正10年(1582年),武田氏は織田・徳川連合軍に敗北,滅亡すると,駿河国は徳川氏の領地となる。
 そして,天正13年(1585年),徳川家康の手により駿府城が築城され,この際,天守が築かれたのだという。

 ところが,天正18年(1590年),豊臣秀吉小田原征伐の後,徳川氏は関東に移封することになり,駿府城には豊臣氏家臣中村氏が入城する。

 その後,慶長5年(1600年)の関ヶ原の合戦で中村氏が東軍に与して武功を挙げると,その功績により伯耆国米子へ転封,駿府には翌年,徳川氏譜代の内藤氏が入封されれるが,内藤氏はわずか5年の慶長11年(1606年)に近江国長浜に転封,代わって前年,将軍職を辞して大御所となっていた徳川家康駿府城に入城する。

 なお,徳川家康存入城の3年後の慶長14年(1609年),家康の十男である頼宣が駿府に50万石で入封するが,頼宣はまだ幼少なこともあり藩主と言っても何の権限もなく,家康没後の元和5年(1619年),頼宣は紀伊国和歌山へ転封となる。

 そして,寛永2年(1625年)になると,3代将軍徳川家光の弟・忠長が駿河国遠江国甲斐国など55万石を与えられ駿府城に入城する。
 しかし,忠長は家光と将軍職を争ったため不仲であることや,駿府城入城後奇行が目立ち,寛永8年(1631年)に高崎へ蟄居,父・徳川秀忠没後の翌年9年(1632年)に改易,そしてその翌年10年(1633年),忠長は高崎で自害してしまう。

 忠長改易後,以後,駿府は廃藩となり,駿府城には幕府直轄の旗本が城代と置かれるようになったのである。

 ところで,駿府城には,ある不可解な伝説が伝わっている。
 それは,徳川家康が大御所として入城していた慶長14年(1609年)のこと,駿府城にいた家康の目の前に,不気味な「肉人」が現れたのである。

 その姿は小児のようで,手はあるが指はない,まさに肉人のような様相で,指のない手を天に向け差していたのだという。
 捕らえようとしてもあまりに素早いため,家康は家臣に追い払うよう命じ,結局その肉人は城外に追い払われたのだという。

 所謂妖怪「ぬっぺふぽふ(ぬっぺっぽうとも)」のような姿をしていたようだが,その正体は全く不明である。

 また,一説には,同城は現在心霊スポットと認知されてもいるようである。
 ただ,その歴史を見ても,合戦に関する歴史等はなく,なぜこの地が心霊スポットと噂されているのか,その理由は不明である。