天正8年(1580年),関東に拠点を置く北条氏家臣・梶原景宗が北条水軍を率いて沼津方面へ侵攻すると,武田勝頼は浮島ヶ原に布陣,武田水軍も出陣し,千本浜沖にて戦いが行われた。
武田軍は浜辺から腰まで海水に浸かりながら北条水軍の船に銃撃を加えるものの,北条水軍の船は硬い椋材で覆われているために弾丸が通らず,形勢不利と見た勝頼は武田水軍の総大将・向井正綱に船を捨てて逃げるよう命じたが正綱はこれを拒否,結局,両軍は日没まで戦うものの,その決着は付かなかったのだという。
ただ,相当の被害は出たようで,戦後,千本松原の地で首実検を行い同地に遺骸を葬ったようである。
そして,それから約300年以上経過した明治33年(1900年)に発生した暴風雨の影響で数多くの頭蓋骨が発見されたのだという(後,これを集めて弔い,現在首塚の碑が設置されている。)。
しかし,未だ首を討ち取れれた者達の魂は成仏していないのか,この首塚付近では首のない武者の幽霊が現れる,また,人魂が目撃されると言われているほか,この近辺の浜辺で泳ぐと死者に引き込まれる等と噂されているそうである。