福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

心霊スポット候補地(その14)

 今回,心霊スポット候補地としてご紹介するのは「石那坂」である。

 文治5年(1189年),鎌倉の源頼朝は,自身に反逆した弟・源義経とそれを匿う奥州藤原氏を征伐するため奥州平泉に向けて出陣する。

 鎌倉方の軍勢は浜街道福島県浜通り地方)沿い,日本海沿い,そして奥州街道を進撃,そして,福島県伊達郡国見町にある阿津賀志山に陣取る藤原氏方と交戦することとなる。

 鎌倉方約2万5000,藤原方約2万とするこの阿津賀志山の戦いは,後陣から奇襲を受けた藤原方は敗北,壊滅的被害を受け,そのまま奥州藤原氏の滅亡へと繋がることになるのだが,その一端となった戦いの地である阿津賀志山は,現在もこの戦いで命を落とした武士達と思しき幽霊が出没するとされている(現在,同山は表記的には「厚樫山」とされている。)。

sizyuukara-1979.hateblo.jp

 
 さて,この戦いの地となった福島県福島市飯坂町周辺には,藤原方の武将である佐藤氏が存在していた。
 佐藤氏の当主は信夫庄司佐藤基治といい,源義経の従者である継信・忠信の父親である。

 基治は飯坂町にあった大鳥城を居城としており,阿津賀志山の戦いの際は藤原方に与し,周辺に存在した「石那坂」の頂上付近に陣を取り,鎌倉方の侵攻に備えていた。
 
 同坂は阿武隈川に流れ込む河川を天然の堀とする場所で,砦を構え討手に備えていたのだが,鎌倉方の常陸入道念西とその子供達4人の奮闘により基治は敗北,ついには主要な者18人もろとも首を取られ,阿津賀志山の山頂にある経岡に晒されたのだという。

 なお,基治については,この戦いの後の資料にその名が登場するため,生死については不明であるが,その後,根拠地であった大鳥城は現在,阿津賀志山同様武士の幽霊が現れるとされており,一族郎党で命を落とした者がいることは間違いない話だと思われる。

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 阿津賀志山(厚樫山),そして大鳥城に現れる幽霊は,いずれも今から800年以上前に行われた戦いに関するものであるが,この2箇所が現在も心霊スポットとされるのであれば,同時期に発生した石那坂もまた,心霊スポットである可能性があるといわざるを得ない。

 ただ,この石那坂,どこに存在したのか,現在も諸説あり確定していないのが現状である。

 有力とされるのは福島市平石で,かつて「石名坂村」が存在したほか,東北本線上り線にある石名坂トンネル付近では明治時代に刀剣や甲などが出土したため,同地に古戦場碑が設置されてもいる。

 ただ,その後,この刀剣や甲はより時代の古い古墳時代の物で,石碑が置かれた場所も実は古墳であることが判明し,同地が合戦場である断定は出来ていない(ただ,あくまで同地が断定できない話であり,福島市平石に存在した石名坂村付近で合戦が行われた可能性はある。)。

 また,佐藤基治の本拠地である飯坂町周辺を合戦場とする説(飯坂という地名の由来は1300年頃とされ,それ以前の地名は不明である点や,上記のとおり,阿武隈川支流の川を堀とした点で,石那坂の砦は大鳥城ではないかとする点から。),阿津賀志山(厚樫山)付近とする説,伊達市保原町とする説等,他にも諸説が存在するようである。

 今後,石那坂の合戦場が明らかになる場合,それと同時に,同地は心霊スポットとされる可能性があるのかも知れない。