1 概要
茨城県ひたちなか市にある多良崎城はテレビ番組で取り上げられる程、茨城県内では著名な心霊スポットであるとされている。
噂によると、同地では女性の幽霊の声が聞こえる、また、姿が見えるなどの目撃談や怪奇現象の体験談が多くあるようである。
また、同城に至るまでの道、少しカーブの多い道なのであるが、そのためか以前はバイクでの走り屋が多くこの地を訪れ、そして事故を起こし命を落とした例があり、彼等の幽霊が現れるともされるのだという。
そして、同城へ至る道は現在バイクの通行は禁止されていることも、ある程度上記の話を裏付けているようにならない。
2 解説
多良島城の歴史は古く、鎌倉時代末期、常陸国に勢力を有していた大掾氏の一族、吉田氏が築城したとされている。
その後、鎌倉時代から南北朝時代に突入すると、大掾氏は南朝方として行動したがやがて没落、北朝方の足立氏(足崎氏?)が地頭となり入城したようである(なお、文献等によると、江戸氏が土着、足崎氏を称したともいう。)。
そして、天正18年(1590年)、足崎氏は豊臣氏の命を受け常陸国統一を目指す佐竹氏の攻撃を受け壊滅、同城は落城した。
同城は小高い丘にある、城というよりは居館で、当時は湖等を要する自然の要害ではあったが、その分掘等は浅い等全体的な作りは脆弱で、僅か一日の籠城戦で落城したともいう。
その後、そのまま廃城とされたようであるが、現在も曲輪や土塁、横堀等の遺構が残されており、昭和50年(1975年)には史跡の指定を受けている。
このように、南北朝時代、そして戦国時代末期に戦闘が繰り広げられた過去がある場所であり、その結果、多くの戦死者が出た可能性は否定できない。
また、上記のように、バイク事故が数多く発生していた可能性も否定できない(仮に現在もバイクの通行が出来たとしても、落ち葉や中央分離帯に設置された凹凸の影響で、よほど腕の良いライダーでないと交通事故を起こす可能性が高い場所に思われる。)。
訪れる際には十分注意されたい(特に、深夜ともなると街灯もない場所である。)。
現在の同城周辺の様子である。
なお、かつて自然の要害に囲まれていた分、同城はあまり統治には向かない場所にあるため、領主は通常、別の場所に館を構え在住、多良島城は敵から攻撃を受けた場合の「詰めの城」として機能させる意味合いが強かったと考えられている。
そのため、佐竹氏の侵攻を受けると、足崎氏は同城に籠城し抵抗するが、精強な佐竹氏の攻撃の前に僅か1日で陥落したのだろう。