令和2年初春より世界中に広がった新型コロナウイルスは,その終息がいつになるのか,正直目処が立っていない状態である。
そんな最中,日本では,ある「妖怪」が一気に注目された。言わずとしれた「アマビエ」である(なお,名称に関しては「アマビコ」とする説もあるが,ここでは一般的な名称である「アマビエ」で統一する。)。
アマビエは江戸時代後期に現れたとされる妖怪で,弘化3年(1546年)に作られた瓦版に類する刷り物にその姿が残されている。その刷り物によれば,肥後国(熊本県)に現れたとするアマビエは,同地の役人に対し,豊作と疫病の流行の予言,そして,疫病除けにアマビエ自身の姿を書き写した絵を人々に見せよ,と告げたという。
まだ医学の発達していなかった前近代においては,疫病が流行する原因と言うものは,神(荒神・疫病神)によるもの,また,怨霊の仕業など,超自然的なものであると考えられていた。そこで,人々は疫病が流行すると,疫病の終息を祈願したり呪いを施したりしていた。上記のアマビエの絵というものも,まさに疫病除けの呪いの一つであるといえよう。
では,疫病除けの呪いには,具体的にどのような方法があるか,かつて福島県内で行われていたとされる呪いについてご紹介したいと思う。
・疫病神を侵入させない目的で,村境に注連縄を張る,竹に神札を挟み立てる,鬼神のような威力を持つ人形を作り立てるという呪い
・疫病神を村から追い出す目的で,人形をたくさん作り小船に乗せ,笛太鼓で囃しまわり,その後海に流す(人形の代わりに五色の御幣を用いるケースもあった。),また,人形に疫病神をつけて村外に追い出すという呪い
・家の中に疫病神が入らぬよう,夜の明けきらない朝早くに,家の外戸の内敷居の上にお灸をしてから戸を開けると疫病神は侵入しないという呪い
・病人から疫病神を駆逐する目的で,法印や山伏を呼び寄せて祈祷を行い,病人を折檻し,円座に赤幣を立てて小豆飯を炊き,病人に方角を聞き出してその方角の道の四辻に疫病神を送り出すという呪い
・正月七日は疫病神がその年の宿割りを定めに来るので,夕方遅くまで遊ぶのは忌む,そして同日の朝,羽織袴で道の四辻に出て,「お流行の神様,今年は私の家で御宿を仕ります」と言い,家に帰り神棚に灯明をあげ小豆飯を供えると,その家には疫病神は入らないという呪い
このように,様々な呪いがかつて行われていたようである(病人を折檻する,というものは,狐憑きを落とす場合の方法に似てなくはないが,さすがに現代でこれを行うことは大問題となろう。)。
この他にも,疱瘡(天然痘),赤痢,コレラ,チフスなどが流行した際には,人々は様々な呪いを試し,自らやその家族が感染することを防ごうとしたとされている。いずれも江戸時代後期から明治時代にかけて(場所によっては昭和初期頃まで)の話であり,そう古い話のことではない。
先のアマビエの件でも分かるように,今も昔も,人は切羽詰ったとき,呪いや神頼みをするものであり,かつて行われた疫病神除けの呪いが時代錯誤・非科学的なものと一笑するのは早計であろうと思う。
願わくば,これら呪いが必要なくなる方法が一刻も早く見つかることを祈るばかりである。