日本国内・・・無論福島県内も含む・・・では,先史時代から明治時代の西南戦争(1877年)までの間,大小数多くの合戦が繰り広げられ,幾多の戦死者が発生した。
そして,それら合戦場の中には,現在心霊スポットとして認識されている場所が存在している。
故郷に帰れず命を落とした者,不本意に徴兵され命を落とした者,様々な者が合戦で命を落としている。この世に未練を残し,成仏できず姿を現すのもまた無理のない話である。
そこで今回は,福島県内で過去に行われた「合戦」を年代別にピックアップ,その上で,「心霊スポットの要因となった合戦」,「心霊スポットの要因となっていない合戦」に分類してみたいと思う。
なお,今回の稿を書くことを思いついた要因として,令和2年の夏,「Yahoo!ニュース」を見ていたところ,「まいどなニュース」の記事に,「日本の幽霊の寿命は400年!? 証拠に「関ヶ原近辺で目撃される落ち武者の霊が激減」(以下省略)」というものがあり,その後,SNS上で,「日本の幽霊の寿命は400年!?」という話が一部の間で盛り上がっていたことが挙げられる。
この内容をかいつまんで記載すると,地元(関ヶ原)に住む方々が最近落ち武者の幽霊の姿がいなくなったと話していた,だから,幽霊にも寿命があるのでは? というものである。
結論的に言えば,幽霊に寿命があるかは正直定かではない。事実,平将門の怨霊(940年没)や菅原道真の怨霊(903年没)のように,1000年以上前の幽霊(と,言うより怨霊)が現在も残る以上,そう簡単に幽霊の寿命というものを論ずることはできない(個人的には,幽霊が成仏することが「寿命を迎えた」と言えるとは思える。)。
まぁ,この場は幽霊に寿命があるかどうか論ずる場所ではなく,本件に関しては読者諸賢の判断に委ねることとしたいが,「福島県内の心霊スポットについて,「心霊スポット」と認定されるに至った要因が今から何年前のものか」という視点で,本稿を楽しんでもらえれば幸いである。
赤字:心霊スポットの要因となった合戦
青字:心霊スポットの要因となっていない(これからなる可能性のある)合戦
※なお,あくまで記載した年に行われた主要な合戦を列挙したもので,月順にはしていない。
1189年
阿津賀志山の戦い(伊達郡国見町),大鳥城の戦い(福島市)
※阿津賀志山の戦いでは,奥州藤原氏側は壊滅的被害を受けるとある
1336年
小高城の戦い(南相馬市)
1346年
宇津峰城の戦い(須賀川市)
※宇津峰城は1353年に落城
1347年
藤田城の戦い(伊達郡国見町)
霊山城の戦い(伊達市)
1396年
守山城の戦い(郡山市)
1402年
赤館城(西山城)の戦い(伊達郡桑折町)
1413年
福島城の戦い(福島市)
1534年
楢葉・磐城の戦い(双葉郡楢葉町,いわき市)
1543年
田村氏,安積郡27郷,6城を奪う(郡山市)
1547年
岩城氏・蘆名氏が安積郡に進出,田村氏と戦う(郡山市)
1559年
大槻城の戦い(郡山市)
1562年
大槻城の戦い(郡山市)
1564年
桧原峠の戦い(耶麻郡北塩原村)
1565年
長沼城の戦い(須賀川市)
戸山城の戦い(耶麻郡北塩原村)
1566年
桧原の戦い(耶麻郡北塩原村)
1574年
田村氏と蘆名氏,福原で戦う(郡山市)
1576年
片平城の戦い(郡山市)
長沼城の戦い(須賀川市)
新地城の戦い(相馬郡新地町)
1581年
新地城の戦い(相馬郡新地町)
1582年
守山城の戦い(郡山市)
小荒井の戦い(喜多方市)
1584年
松本氏の反乱(会津若松市)
穴沢氏の反乱(耶麻郡北塩原村)
桧原の戦い(耶麻郡北塩原村)
1585年
小浜城の戦い(二本松市)
小手森城の戦い(二本松市)
※なで斬り(皆殺し)発生
二本松城の戦い(二本松市)
1586年
人取橋の戦い(本宮市)
北方の戦い(喜多方市)
1588年
郡山(夜討川)の戦い(郡山市)
三春城を訪れた相馬義胤,場内から攻撃を受け,側近多数戦死(田村郡三春町)
小手森城の戦い(二本松市)
1589年
摺上原の戦い(耶麻郡磐梯町・同猪苗代町)
安子島城の戦い(郡山市)
高玉城の戦い(郡山市)
※なで斬り(皆殺し)発生
新地城の戦い(相馬郡新地町)
須賀川城の戦い(須賀川市)
田島の戦い(南会津郡南会津町)
泉田城の戦い(南会津郡南会津町)
久川城の戦い(南会津郡南会津町)
1590年
小豆畑・十二所・童生淵の戦い(相馬市)
1600年
梁川城の戦い(伊達市)
松川の戦い(福島市)
1868年
戊辰戦争
白河口の戦い(白河市)
磐城平城の戦い(いわき市)
広野の戦い(双葉郡広野町)
浪江の戦い(双葉郡浪江町)
相馬の戦い(相馬市)
旗巻峠の戦い(相馬郡新地町)
棚倉の戦い(東白川郡棚倉町)
淺川の戦い(東白川郡浅川町)
本宮の戦い(本宮市)
二本松の戦い(二本松市)
母成峠の戦い(耶麻郡猪苗代町・郡山市)
戸ノ口原の戦い(耶麻郡猪苗代町)
会津若松城の戦い(会津若松市)
このように,かなりの数の合戦が行われていたことが分かるが,実は上記の合戦はあくまでほんの一部に過ぎず,特に戦国時代には大小さまざまな合戦が福島県内で発生している(あまり事細かに調べて書き連ねることにさすがに限界があるため,この程度の記載でご了承願いたい。)。
また,上記の列挙はかなり大雑把な列挙であることにも留意されたい。
例えば,戊辰戦争時の合戦である「白河口の戦い」とは,白河小峰城を巡る戦いのほか,同城南側にある稲荷山の戦いなど,その周辺で繰り広げられた戦闘を総称した呼称である。
しかし,こうしてみると,思った程合戦絡みの心霊スポットというものは少ないことが分かる。これは,「合戦場」というものが現在まで残っていないケースが多いことも一つの要因なのだろうか。
そう考えると,「人取橋の戦い」が行われた付近や「摺上原の戦い」が行われた付近は現在も容易に訪れることが可能であり,かつ,相当の戦死者も生じた戦いが行われた場所のため,幽霊が現れても不思議ではない気がするのだが・・・。
また,戊辰戦争時の会津若松城(鶴ヶ城)を始め,磐城平城,白河小峰城,棚倉城なども戦死者が発生している場所であるが,残念ながらそのような話は聞こえない。
無論,その後の手厚い供養によりすでに成仏している可能性は否定できないのだが・・・もしかすると,見える人には何か見えているのかも知れない。
最後に,このような稿を書いておいて言うのもアレであるが,私には決して戦死された方々を茶化したりするつもりはない。歴史上の事実として,福島県内で上記のような合戦が行われたことを紹介しつつ,全ての戦死者の成仏を祈る