1 概要
四倉町戸田鬼越山に笠松神社と称する小祠があり,昔,ここに笠状の松が一本あった。
享保年間(1716年~1736年)の頃,吉田孫兵衛という農夫が通りかかると,笠松の上にいた大蛇が彼を襲おうとしたので,急ぎ家に帰り鉄砲を持ち,その頭部を撃ち貫いて殺し,蛇の頭を庭に晒して置いておいた。
然るにその後,家人の中に良いことがなく,死ぬ者が相次ぎ,その数が三人にも及んだので,これは大蛇の祟りと考え,厚くこれを葬ったという。
笠松祠の北二町(約200m)かり,山腹にある蛇塚と呼ぶのがこれである。
2 解説
鬼越は現在も残る地名で,JR常磐線四ツ倉駅の近くである。残念ながら,現在も蛇塚が現存するかまでは定かではない。
蛇という生き物は陰気を好み,そのため非常に執念深く,傷付けた相手には必ず仇をなすという(「手負蛇」と呼ばれる妖怪まで存在する。)。
今回の話の蛇は死んでいるが,死後もまた祟りをなすほど強い執念を持ち合わせているようである。