1 概要
昔,上荒井部落の中程にお宮さんがあり,そのお宮さんの前には,歳を取った二人の姥が住んでいた。
この姥屋敷の前は丁度街道で,時折旅人が通り,夜更けになると周囲に宿屋がないことから,この姥屋敷を訪ね泊めてもらっていた。
しかし,不思議なことに,この姥屋敷はよく旅人が泊まるのに,この家から出て行く旅人の姿は誰も見かけた者はいなかったため,周囲では噂になっていた。
このような噂を聞いた一人の子供が,本当かどうか確かめようとある夜,姥屋敷に旅人が来たのを見ると,裏に廻り屋敷の中を覗き込んでいた。
すると,姥らは旅人を御馳走で迎えた後,床へと案内するが,置かれていた枕は石の枕だった。
旅人は気にせずその上に頭を置いて高いびきをかいて寝てしまうと,二人の姥は何事か相談した後,一人の姥が大きな石の槌を手にすると,旅人の頭めがけて振り下ろした。
その様子を見ていた子供は恐ろしさのあまり逃げ出したが,やがて,子供は旅人の通るたびに小声で
「荒井小松に宿とるな 石の枕に槌ひとつ」
と,とても美しい声で歌いかけたので,旅人もいつしか姥屋敷には泊まらなくなった。
これを見た村人は,この子供はお宮さんのお使いであろうと噂したという。
なお,この村には長さ50cm程の細長い石が残り,これを枕石と呼んだという。
また,下小松には石槌があったというが,現存していないという。
最後に,このような歌も残されている。
ゆき暮れて 野にはふすとも 宿かるな 荒井の里の 一つ家のうち
2 解説
上荒井という部落はかつて北会津村に存在していたが,同村が会津若松市に合併したため,現在のどの辺りかよくは分からない。
ただ,調べたところ,まず江戸時代までには「上荒井村」が存在していたが,明治8年(1875年),上荒井村は各村と合併し「宮木村」に,同村は明治22年(1889年)に各村と合併し「川南村」に,そして同村は昭和31年(1956年)に荒舘村と合併し北会津村になっている。
北会津村には,かつて大字として「宮木」という地名があり,現在の会津若松市北会津町下野や金屋,西後庵周辺がかつての「宮木」に該当する地区のようであり,この周辺での出来事と思われる。
さて,上記の話の中では単に「姥」とされている二人だが,旅人を殺している辺り,「山姥」の類なのかと推測している(なお,殺された旅人がその後食べられたりしたかは定かではない。)。