1 概要
郡山市大槻町には「静御前堂」と呼ばれるお堂があり,源義経の愛妾・静御前の霊が祀られている。
兄である源頼朝と仲違いした源義経は遠く奥州平泉へと逃走したが,途中,静御前とは離れ離れとなる。
後,義経の後を追い平泉へと向かう静御前であったが,郡山の地に来た時に,義経が平泉で討たれたという報に接し,悲観のあまり同市内にある「美女ヶ池」に身を投じ没したという。文治5年(1189年)のこととされる。
それから約400年後,この地は大槻城城主伊東左衛門高行が統治していたが,ある時,村内にある小高い塚跡から,夜な夜な怪しい光が放たれ里人が恐れているという噂を聞きつけたので,人々にその地を掘らせると果たして幾つかの石碑が現れた。調べてみるとそれは静御前を祀った霊所であることが分かり,高行はこの地にお堂を建てたのが,この静御前堂の始まりと言う。
このような伝承のある所であるためだろうか,この地では過去,人魂を目撃した,また,幽霊を目撃したという噂が聞こえたという。
2 解説
上記のとおり,この地で静御前が亡くなった訳ではなく,ここはあくまでその霊を祀るお堂である。
ただ,お堂には古墳も隣接しており,何かいわくを感じさせる場所に建てられていることは間違いないだろう。
なお,現在,静御前堂周辺は開発が進んでいるが,それ以前は細い道路しかない閑散とした場所であった。現在も上記のような現象が起こるのかは定かではない。
最後に,実は静御前が死去した地というのは全国各地に点在しており,本当にこの地で静御前が死去したかは不明である。