1 概要
昔,上林村(現喜多方市)に福地越後という人がいたが,ある日,蘆名の殿様の命により,大芦の土地を拝領した。
大芦の地はその名の示すように,辺り一面に芦が密生し,その上山が嶮しくそそり立つ,せいぜい鷹狩りができる程度の土地で,とても人が農業をして住めるような場所ではなかった。
越後は,主命であることから,一族を率いやって来たものの,とんだ僻地に来たものだと長嘆していた。
しかし,いつまでも嘆く訳にもいかず,田を開拓しようと考え,思いついたのは,周囲200mもある沼を干し,水尻にある八つの沢を同時に開拓しようと考え,早速許可を得て工事に着手した。
人々は,己の耕地が持てると喜び勇躍,作業を始めていたが,ここに思わぬ災厄が降りかかった。
と,言うのは,人々が芦草を刈り始めると,突然大波が押し寄せるような音がして,
「うわーっ,助けてくれ!」
と,肺腑をえぐるような助けを求める声が空を切った。
皆,驚いて声のした方に行くと,一人の男が両足を何者かに食いつかれていた。そして,その食いついた何者かは,沼の中におり,全身黒光りする鱗に覆われ,眼光鋭く人々を睨んでいた。
それはミズチという,気性の激しい龍の一種で,四本の足を使い水を泳ぐときは荒波を立てて洪水を起こし,人を襲い生き血を吸うと言われる怪物であった。
ミズチの出現に越後は困り果てた。この頃はまだ鉄砲などなく,ミズチを退治するには沼の水を抜いてしまうのが一番とも思われたが,それでは犠牲者がもっと出る可能性もある。越後はこれ以上犠牲者は出したくはなく,さりとて良い思案もないため,仕方なく殿様に伺いを立てると,殿様は,
「沼のほとりで,見目麗しい童に舞を舞わせ,ミズチの油断している隙に一気に水を落としたらよかろう。」
との案を授けた。
喜んだ越後はさっそく沼のほとりに舞台を作り,着飾った美童らに鳴り物入りで舞踏をさせた。
その賑やかなお囃子は沼の中まで伝わり,案の定ミズチは水面に顔を出し,やがて沼から這い出て舞台のほうに近付いた。
「それ,今だ!」
越後の掛け声で,待機していた人々は手に手に鍬や鍬で土堤の一端を切り崩し,一度に沼の水を切り落とした。
驚いたミズチは急ぎ沼に戻るも,水はどんどん引いていき,しばらくの間沼底を這い回っていたが,やがて最後の水と一緒に沢を下り,どこへもなく姿を隠した。
やがて沼跡には見事な水田が開かれて,八つの沢にも毎年豊潤な稲が実るようになった。
2 解説
まず,物語の舞台である「大芦」という場所について調べてみたところ,福島県内(特に会津)では大沼郡昭和村しかないようで,同地が舞台であると推測される(昭和2年(1927年)までは「大芦村」という村も存在していたようである。)。
また,鉄砲がない時代の話なので,天文12年(1543年)以前の話と思われる(ただし,鉄砲伝来の時期については諸説あるようである。)。
ミズチは,日本の神話・伝説などで,水と関係があるとみなされる龍または蛇の類(水神とも)とされており,日本書紀にも現れる,古来から知られていた存在のようである。