1 概要
会津の北方に滝沢という村があり,その五,六丁北に八幡社がある。
この八幡社は,昔,八幡太郎義家が奥州攻めをした時,京都の男山八幡宮を勧請したもので,境内には樹木生い茂り昼さえ薄暗く,まして夜ともなると梟が鳴き,狐が乱菊の草むらで戯れている,淋しい所だった。
ある人が夜更けにこの八幡社の後ろを通りかかった。その夜は小雨が降り,月さえ暗いような時であった。
その時,何かに後ろからつかみかかられるように感じて,振り返り雲間の月明かりですかして見ると,その顔は一尺七,八寸(約51cm~54cm)もあるかと思われる大法師だった。
この人は恐ろしいとは思ったが,刀を引き抜いて切り捨てようとすると,刀はいつの間にか目釘が無くなっており,柄ばかりを振り回すような有様で,その間,大法師は刀身ばかり奪いどこかに消えてしまった。そこでこの人は走って村まで行き,松明をもらいようやく家に帰った。
夜が明けて昨夜の場所まで行き刀を探すと,そこから二,三丁も離れた田圃に,刀身いっぱい突き刺さっていたという。
何者の仕業であろうか,これは「見越し入道」というものであるという人もいたという。
2 解説
上記にある「丁」とは,恐らく「町」であると思われる(一町=約109m)。
さて,この「滝沢」であるが,恐らくは「福島県会津若松市一箕町大字八幡滝沢」が比定できる場所ではないかと思われる(ただし,現在八幡社が存在しているかどうかは定かではない。)。