「わか」と呼ばれる巫女同様,死者の霊と交霊(口寄せ)することを生業としていた人々に「あがた」という方々が存在していた。
あがたは他地方から村々を歩き巡る者であったとされる(妙義や戸隠,つまり群馬県や長野県から訪れていたらしい。)。この点,わかは地元にいる方が巫女を勤めたようで、出身地という点で大きな違いがあったようである。
あがたが県内に来訪していたのは明治初年頃までのようで,毎年6,7月頃、ちょうど田植えがひと段落した時期に,風呂敷に黒塗りの文庫箱のような「あがた箱」と呼ばれるものをかついで各家を廻ったのだという。
そして,口寄せを行う際には,南天の葉を水に浸して傍らに置き,右の手の母指(親指か)を隠して箱に肘をもたせて寄りかかり,なにやらの呪文を唱えて死霊や生霊を呼び寄せたのだとされる。
箱の中身は決して他人には見せなかったとされているが,中を見た人の話としては,五寸(約15cm)ばかりのへらに目鼻をつけ,弓を持っている人形が入っていたともされる。
「歩き巫女」の一種とも思われるあがたであるが,明治10年(1877年),口寄せなどの生業を禁止する法令が各県に通達されたことを受け,次第に姿を消したのではないかと思われる。文明開化の余波を受けた、といえるのではないだろうか。