福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

如丹亡霊(大沼郡三島町)

1 概要

 材木町秀長寺の卓門和尚が,正徳3年(1713年)の秋の末,大仙寺が無住(住職不在)の折,僧侶2,3人と同寺を訪ねて一晩泊まっていたところ,暮れより雨が降りだし,僧侶のいない古寺の寂しさに,皆囲炉裏へ立ち寄り柴を折りくべて,茶を煮出して如丹の噂物語をしていたところ,仏壇の方より22,3歳と思われる美しい僧侶が塗り笠を被り,手に塗り鉢をささげ,杖をつき,しばらく座中を歩き回り,現れては消え,消えては現れ,夜中じゅう迷い歩くのを見たという話である。

2 解説

 秀長寺は現在も会津若松市材木町に存在する寺で,戊辰戦争時,会津藩家老佐川官兵衛が同寺と隣の住吉神社に伏兵を配置,新政府軍に奇襲を仕掛け見事成功した。これは,会津城下の戦いで唯一新政府軍に勝利した戦いである。なお,大仙寺については現存していないようである。
 
 なお,僧侶達が噂物語をしていた如丹が一体どのような人物なのか,詳細は残念ながら不明である。

令和元年12月17日追記

 私が所有する本に,この話の前段階となる話が掲載されているのを発見したので,少し長くなるが追記する。

 正徳年間(1711年~1716年),会津藩主松平正容の時代,大石村(大沼郡三島町西方)に大仙寺という寺があり,そこに,如丹という当時23歳の非常に美男な僧侶がいた。
 如丹は以前白河の侍であったが,男色のもつれから人を斬り,会津に逃げ仏門に入ったと言う。

 この大石村には,庄右衛門という百姓がおり,その娘にはお巻というこれまた美しい娘がおり,やがて,お巻は如丹を恋しく思うようになった。

 そして,厳しい冬の日も過ぎたある春の日,お巻は寺の庭に忍び込んで桃の実を取っていた。そこに如丹が現れ,桃を取らぬようお巻に注意すると,お巻は如丹の注意を一向に聞かないばかりか,
「桃には種々あり,山桃,沢桃,それに姫桃もある・・・。」
 などと言い,意味ありげに笑いながら如丹に桃を投げつけて来る。如丹はこの様を見て,お巻に心のあることを知り,居間の中に入り,相手にしないでいた。

 やがて春も過ぎて5月のある闇夜,如丹の居間の戸をトントンと叩く者がおり,不審に思いながらも如丹が戸を開けると,そこには忍んで来たお巻の姿があった。そして,
 「私を,どうか貴方様のお側に置いて下さい。」
 と言い,如丹の胸に取り縋り,自身の胸のうちを切々と訴えるが,如丹は,
 「私は仏に仕える僧侶の身,そればかりは・・・。」
 と言い,てんで取り合わない。

 しかし,冷たくされればされる程,お巻の恋心は燃えるばかりで,
 「これ程にお願いしても,どうしてもお聞き届け頂けねば,私はこの場で死んでしまいます。これ程までに思いつめた女心を分からない貴方様は,鬼や蛇よりも心の冷たいお方です。」
 と言い,泣き崩れた。

 ここまで言われると,さすがの如丹も絆されない訳はなく,やがて,お巻と如丹は相思相愛の仲となるが,逢瀬を重ねるに従い,やがてその仲は村人達にも知れるようになった。
 そして,ある夜のこと,二人が情を交わしているところを,お巻に横恋慕する村の若者が,お巻の草履を盗み,お巻の両親に届けたため,ついに庄右衛門の知るところになった。

 庄右衛門はお巻に対し,如丹を諦めるか,諦めきれないなら覚悟を決めろと,細引と剃刀を渡し,一室に閉じ込めたところ,果たしてお巻は細引を首に巻きつけ自害して果てた。

 このことは忽ち世間に知れ渡り,やがてお上の耳にまで達し,如丹はお上により女犯の罪でお召し取りとなり,若松城下まで連れて来られると,死罪を申し渡された。
 そして,如丹は城下町を引き回しにされた挙句,橋本の薬師堂河原で磔の刑に処せられた。

 それからというもの,大仙寺には夜な夜な若い男女の亡霊が現れるようになり,恐れをなした住職は居た堪れなくなり逃げ出した。

 という話である。

 なお,物語の舞台となった大仙寺であるが,現存しているかどうかは残念ながら不明である。