福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

猫魔怪(会津若松市)

1 概要

 会津の加藤明成に使える武士に,武藤小兵衛という200石取りの者が一の町(「一ノ丁」か)に住んでおり,同人は,東沢田村という所から美女を召抱え寵愛していた。

 その頃,小兵衛は,伊東三四郎という同じく200石取りで三の町(「三ノ丁」か)に住む者の娘と婚約をしており,小兵衛の母の勧めにより,美女に暇を出し家に帰したが,その美女は東沢田村から鶴沼川や大川を越えて毎晩訪れ,小兵衛と枕を並べ以前のとおり契りを結んでいた。

 ある冬の夜,小兵衛は外出後夜更けに屋敷に戻り,いつもどおり美女を待つが,外では大雪が降ってきた。やがて,小兵衛は寝てしまったが,この折,美女は雪をも厭わず現れて障子を開け,小兵衛の枕元に佇んでいたが,たちまちその身を虎毛の大猫に変え,小兵衛に飛び掛った。

 小兵衛は目を覚まし,すかさず脇差を抜いて大猫に突き刺し,そして二太刀浴びせると,大猫は障子を破り外に出るのでそれを追い,さらにとどめをさすと,その猫は隣に住む太田又佐衛門という者が久しく飼っていた猫であったという。

2 解説

 加藤明成は「賤ヶ岳の七本槍」の1人である加藤嘉明の嫡男で,寛永8年(1631年)に父の死後家督を継ぎ,寛永20年(1643年)に江戸幕府により改易されるまでの間会津藩主として同地を統治した人物である。

 松平氏統治時代の話なので,加藤氏統治時代も同じかは定かではないが,当時,鶴ヶ城の正門(追手口)から,北へ順に「本一之丁~五之丁」(現在の会津若松市追手町や東栄町),また,同城郭内西部に「米代一之丁~四之丁」(現在の会津若松市米代)に,「○之丁」という地名が存在していた。今回の舞台が,どちらの丁に該当するのが定かではない。

 また,くだんの美女の出身である「東沢田村」がどの辺りなのかであるが,恐らく南会津郡下郷町のことだと思われる(かつて「沢田村」という村が存在していたようである。)。
 女性の足で下郷町から会津若松市まで歩いて来たとすると,相当な距離があったのではないかと思われる。