1 概要
昔,会津盆地は芦谷地で一面に芦が茂り,田畑が少なかった。その頃,磐梯山は「病悩山」と呼ばれており,同山には,「足長」,「手長」という妖怪が住んでいた。
夫の足長は大変に足が長く,会津盆地をひとまたぎにすることができた。また,妻の手長は病悩山に腰を下ろして猪苗代湖の水で顔を洗うことができた。そして,足長が病悩山と明神ヶ岳や博士山の頂上にまたいで立ち,両手を伸ばして雲をかき集め会津盆地を真っ暗にし,手長が猪苗代湖の水をすくい会津盆地にばらまいて雨を降らせることができた。
この二人が暴れると,その叫び声は雷となり天地に響いた。そして,この二人はいつも暴れていたため,当時の会津盆地は陽の差す日が少なく,作物は実らず不作が続き,周囲の民百姓は食べ物に事欠いていた。
ある年のこと,どこからともなく一人の修行僧が来て,民百姓から事情を聞くと,一人病悩山の頂上に登った。
そして,「足長手長,お前達がいくら威張ったところで,できないことがあるだろう。」と呼ばわると,はるか上空から笑い声とともに,「何をほざくか乞食坊主,我等にできないことは何もない。」とあざけるような声がした。
それに対し修行僧は,「それならば,もしお前達にできないことがあれば,この会津から消えうせろ,それでいいな。」と言うと,さらに上空から「我等にできないことは何もない,その時には貴様の命はないと思え,いいな。」と返事があったので,修行僧は法衣の下から小さい壺を取り出し,「お前達は揃いも揃って大きいなりをしているが,この壺の中に二人一緒に入ることはできまい。」と大きな声であざけり笑った。
それを聞いた足長手長は大いに怒り,「そんなことはいとも簡単だ。」と言うが早いか,みるみる小さくなり壺の中に飛び込んで見せた。その途端,修行僧は素早く壺にふたをして,「馬鹿者が,長い間良民を苦しめてきた罰だ,永久にこの中に入っておれ。」と一喝,法衣の袖をちぎり壺を包むと,同山の頂上に埋めた。
足長手長は悔しがるが壺はびくりともしない。修行僧は以後,祟りのないよう護摩壇を設け悪霊調伏の修祓を行い,いずことなく去った。
この修行僧は弘法大師空海その人という。
2 解説
全国各地に伝わる弘法大師ゆかりの話の一つである。
足長手長(手長足長)も各地に伝わる話で,夫婦の妖怪とも,また,兄弟の妖怪とも伝わり,悪事を働く妖怪とされていることが多いようである。