福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

猫魔ヶ嶽の化け猫①(耶麻郡北塩原村)

1 概要

 現在桧原湖の北端である桧原という寒村に,昔,会津から派遣されていた穴沢善右衛門という侍がいた。

 善右衛門は夏になると,妻と磐梯の湯に湯治に出かけており,この年も,妻と磐梯の湯に湯治に来ていた。

 ある日のこと,善右衛門は下男と山裾の小さな沼で釣りに来ていた。この沼は大して魚が釣れない沼だが,この日は面白いように釣れたため,夢中で釣りをしているとやがて陽は西に傾いたため,今から湯治場に戻るのは難しいと判断した善右衛門は,近くにある釣り小屋に泊まることにした。

 善右衛門と下男は,釣り小屋で釣り上げた魚を串に刺して焚き火であぶり夕食にしていたところ,小屋の入り口を覗く者がいた。それはよく見ると,善右衛門が幼い頃の乳母であった。乳母は,「宿に伺ったところ,釣り小屋にいるとの奥方様からの話で,昔が懐かしくここまで会いに参りました。」と言うので,善右衛門は喜び小屋の中に招きいれ,焼きたての魚を乳母に差し出すと,乳母は飢えた者のようにぺろりと何串もの魚を平らげた。

 やがて,善右衛門は昔の思い出話を乳母に話しかけたが,どうも乳母の返事はちんぷんかんぷんで,話のつじつまが合わない。善右衛門は,乳母も歳を取り,また,山の中に来て疲れたと思い,特に気にかけずにいたところ,やがて乳母は炉辺にうずくまり眠り始めた。

 下男もすでに眠りについており,残された善右衛門は薪の片付けをしていたところ,そのときたまたま,薪の枝が乳母の耳をかすめた。すると,不思議なことに,乳母の耳たぶがまるで別の生き物のようにピク,ピクと動くではないか。驚いた善右衛門は,乳母の耳に触れて見ると,やはり耳はまごうことなく動く。乳母が山奥に一人訪れたことを腑に落ちないと思っていた善右衛門は,この乳母が魔性のものと考え,腰にした愛刀貞宗を抜き,乳母を力任せに斬り付けると,乳母は一声悲鳴をあげ,血しぶきを吹き上げて事切れた。

 善右衛門は魔性の正体を見届けようとしたが,なかなか正体を現さない。やがて,釣り小屋に朝日が差し込むと,乳母の姿は煙と消えて,その代わりに年老いた一匹の大きな黒猫が,口から血を吹いて死んでいた。善右衛門は,眠りこけている下男を起こすと,取り急ぎ湯治場に帰ることにした。

 釣り小屋から小半刻(約一時間)も歩いた頃,湯治場から息せき切り駆けて来る男がいたので,善右衛門はその男と話をしてみると,昨夜から湯治場を出た善右衛門の妻が戻らないという。驚いた善右衛門はすぐさま山を下り,村人を動員して妻の捜索に走らせた。

 そして二日目の夜,ついに,断崖の上に立つ老樹の梢の上に,吊り下げられているのつ善右衛門の妻の遺体が発見された。報せを聞いた善右衛門は駆けつけるが,あまりに高い場所のことなので,どうにも手の施しようがない。そこへ,きこり風の男がいたので,善右衛門はその者に,妻の遺体をここまで降ろすように頼むと,その男は「では,あなた様が今腰に差しておられる刀を貸してくださるなら,ここまで降ろして差し上げましょう。」と言う。

 この刀は穴沢氏に伝わる宝刀である,一時たりとも手放せないと善右衛門が断ると,男の態度が一変,「やい善右衛門,我こそはこの山の主,猫王である。昨夜,貴様は我が妻を一刀のもとに切り殺した。我はその仇を討つため貴様の妻を食い殺し,この木に吊り下げた。その憎い刀を渡さぬとあれば,貴様も食い殺す。」と大喝,木によじ登り怪猫の本性を現し,善右衛門の妻の遺体を咥え消え去った。

 これを見た善右衛門は大いに怒り,改めて村人を動員,化け猫退治に乗り出した。そして幾日の後,ついに大きな洞窟の中に,目を光らせる化け猫と妻の遺体を発見した。善右衛門は宝刀貞宗を抜き,化け猫に白刃を一閃させると,化け猫は見事真っ二つにされてしまった。

 以来,化け猫を切ったこの宝刀貞宗は猫切丸との異名がつけられ,穴沢家の宝刀として永く保存されたという。

2 解説

 穴沢氏は現在の耶麻郡北塩原村桧原の土豪で,古くから会津の蘆名氏に従っていた。この地は米沢の伊達氏領と接しているため,永禄年間(1558年~1570年)に伊達輝宗の侵攻を2度受けたが,いずれも撃退しており,穴沢氏が剛勇の一族であったことが伺える。
 しかし,天正12年(1584年),伊達政宗が侵攻すると,一族の裏切りもあり敗退,その際,一族郎党悉く討ち取られたという(天正13年説あり)。

 現在,貞宗の刀がどこにあるかは不明であるが,この刀は,文明18年(1486年)頃に,蘆名氏から与えられたもののようであり,それ以後に,この化け猫騒動があったようである(なお,善右衛門が釣りをしていたのは雄国沼らしい。)。

 なお,桧原村磐梯山の噴火によりできた桧原湖の底にあり,現在,穴沢氏に関する史跡としては,桧原の地に数基の五輪の塔が残されている。