福島県心霊スポット情報

福島県心霊スポット情報

福島県内の心霊スポット(全国に拡大予定、まずは東北から。)の概要とその情報について,霊感ゼロの四十雀が独断と偏見を交えつつ解説したいと思います。

高玉城(郡山市)

令和2年1月23日 改訂

1 概要

 国道49号線を郡山市内から会津若松市方面に進み,途中,磐越道熱海インターチェンジ方面へと進み,石筵方面に少し車を走らせた道路脇に,かつて高玉城が存在していた。

 視線は同じく道路脇にある高司神社に行きがちであるが,同神社は城跡に建てられたものではなく,実際の城跡は神社の反対側,丘陵地帯となる(城跡を示す石碑が置かれている。)。

 同城は,現在の二本松市付近を所領としていた国人領主二本松氏の庶流・高玉氏が居城として使用していた。
 しかし,二本松氏が天正14年(1586年)伊達政宗に滅ぼされたため,高玉氏は会津の蘆名氏の傘下となるものの,天正17年(1589年),政宗が蘆名氏を攻めた際,その侵攻路に存在する同城は政宗の家臣片倉景綱による攻撃を受ける。

 寡兵の中,城主高玉常頼は奮戦を繰り広げるが多勢に無勢,討ち死の最後を遂げてしまう。
 そして,城主を失った城内の者達もまた,試練が待ち受けていた。政宗がをなで斬りを命じたため,城内にいた者は全て殺害されたという(なお,なで斬りについては別稿の某城(二本松市)を参照。)。

sizyuukara-1979.hateblo.jp


 このような過去が存在するためだろうか,同城周辺では怪奇現象が噂されており,一説によれば,昼間でも幽霊が現れるとのことである。

2 解説

 同城に至る道路は石筵を通過して母成峠を抜け,最終的に耶麻郡猪苗代町にある中ノ沢温泉へと通じることもあり,私自身も頻繁に利用している。
 交通量もそこそこある道路で,私自身は幸いにもこれまでに怪奇現象に遭遇したことはなく,また,何か出るような場所にもどうにも思えないように感じる。

 同城は比較的小さい,言わば「砦」という性質のある場所と思われ,それ程多い人員がこの場所に篭ることはできなかったと思われる。
 それでも,戦国時代の合戦であることから,数百人単位の兵士(周辺の農村の人員)がこの場所に詰め,政宗の軍勢と戦ったのだろう(一説には,三百余名が討ち取られたほか,鶏や犬など家畜類も殺害されたという。)
 なお,落城後,同城がどのように扱われたは不明である。砦的な性格を有する城なので,その後使われず廃城とされたと思われる。

 上記のとおり,城跡は神社とは反対側の山側にある。
 同地を訪れる場合には,車を路肩またはどこか空き地に車を停めて登るしかない。同城の遺構として堀や土塁などの遺構が存在しているとのことである。しかし,それらも樹木や草木,藪に覆われており,まさに「つわものどもが夢の跡」といった風情をかもし出す場所と言える。

 最後に,政宗はなぜ,同城でなで斬りという残虐な命令を出したのだろうか。
 これは私の推測でしかないが,高玉氏は上記のとおり,二本松氏の一族であるが,二本松氏は政宗の父,伊達輝宗を殺害している。その恨みから,政宗は二本松氏の一族である高玉氏その一党をなで斬りに処したのだろう。

令和元年9月16日追記

 同城では、上記のとおりなで斬りが行われたとされているが、文献により、城中の男女60余名が討ち死したとも、城主高玉常頼の娘をその乳母が助け出したとある。

令和元年9月23日追記

 高玉城の写真を撮影したので追加掲載する。

f:id:sizyuukara-1979:20190923181016j:plain


 高司神社の様子。

f:id:sizyuukara-1979:20190923181051j:plain


 高司神社の反対側、高玉城と推定される山側の様子である。