1 概要
いわき駅から国道399号線を走ると,頭上に小さな橋が架かるのが分かる。これが高麗橋(こうらいばし)と呼ばれる橋で,実際に通行するときは,国道399号線から脇道を上り,裁判所の前を通り十字路を右折する必要がある。
この高麗橋は,藩政時代は同地に築かれていた磐城平城の門に通じる橋で,国道399号線はお堀の一部といわれている。
そのため,戊辰戦争において同城が落城した際,女性や子供がこの橋から身を投げた,という伝説があるという。
また,高麗橋完成後,この橋は昔から飛び降り自殺をする人が多く,夜,国道399号線を車で走らせると,この橋から落ちてくる幽霊が目撃されるという噂がある。そのため,この橋を「幽霊橋」を呼ぶ人もいるという。
最後に,高麗橋を通る際には,決して後ろを振り返ってはいけないという。後ろを振り返ると幽霊に憑り付かれるためだという。
2 解説
少し分かりにくい場所に架かる橋であるが,いわき駅からは徒歩で行ける距離にあり,秋,近くにある飯野八幡宮では流鏑馬祭りが行われている場所付近である。
実は,私が以前いわき市に住んでいた時高麗橋の近くに住んでおり,毎日この橋を通勤していた(その際には何度も橋の上で後ろを振り返ってもいた。)。また,職場にいた年配の同僚も,この橋をゆうれい橋と呼んでいたのを記憶している。しかし,いわき市出身の私の母にいわせると,自殺者が多いという話や,ゆうれい橋と呼ばれていることなど聴いたこともないという。
さて,慶応4年(1868年)の戊辰戦争時,新政府軍に敗れた磐城平藩は,家老が同城に火を放ち闘争した事実は存在している。しかし,その際に女性子供が同橋から身を投じた,という伝説については,残念ながら聞いたことはない。
むしろ,磐城平城には人柱の伝説が今に伝わる。これは,同城近くにある「丹後沢」という場所で,同城築城の際,近くの菅波村に住んでいた齢90余の老人「菅波丹後」を人柱にしたというものである(菅波丹後自身は進んで人柱となったといい,その子孫は召抱えられたという。人柱になった場所は,現在の丹後沢公園がある付近らしい。)。
最後に,先に話に現れた年配の同僚の話によれば,高麗橋近くにある某学校には,かつて磐城平藩の処刑場が存在していたという。しかし,その付近は磐城平城の郭内であり,郭内に処刑場を置いていたのか,疑問が残るところである。
令和2年5月7日追記
令和元年度に高麗橋の写真を撮影していたが、UPするのを忘れていたので追加掲載する。
現在の高麗橋付近の様子である。
国道399号線は階段から降りることができる=かなりの高さがあることが分かると思う。
橋に設けられた柵はうちの細君の背とほぼ変わらない高さである。
持参したばけたんを起動したところ、特に霊の存在は感知できなかった。