令和2年1月23日 改訂
1 概要
御霊櫃(ごれいびつ)という不思議な名称の峠が郡山市西部にある。
このような名前が付いた理由であるが,前九年の役の際,源義家に従った鎌倉権五郎景政がこの附近を平定,御霊の宮を造営したが災害が相次いだため,この地の山中にある霊石に神霊を移し五穀豊穣を祈願した,やがてその神石が「御霊櫃」と呼ばれるようになったため,その名が峠に付いたという(なお,私が過去に聞いた話としては,かつて葬式の際にひつぎを運ぶため専用の峠として用いられていたため,であった。ただし,それがいつの時代のことか,また,どこからどこに運んでいたのか,詳細が分かる資料がなく,詳しいことは分からない。)。
同峠も心霊スポットと噂されており,山賊の幽霊,着物を着た女性の幽霊,ハイカーの幽霊,そして首を吊っているサラリーマン風の幽霊など,様々な時代の幽霊が目撃されているという。
また,都市伝説的な話ではあるが,「てけてけ」が目撃されるとも言われる。てけてけ上半身のみ,下半身は切断された女性の霊ないし妖怪で,上半身だけで猛スピードで追いかけてくるとされている。
2 解説
郡山市から猪苗代湖へと抜けることのできる峠道の一つであるが,道路の幅が狭く曲がりくねった峠道で,かつ,周囲の木々が生い茂り昼なお暗い印象のある場所である。特に,夜になると街灯もないため,あまり使うことはおすすめしない。
さて,出没する幽霊の中には,山賊の幽霊も含まれている。推測するに,山賊が出たのは明治時代以前の話,つまり江戸時代の話だと思われる。
この時代,現在の郡山駅附近に,奥州街道の宿場町である郡山宿は存在していたが,同宿を外れると,幾つか村々が点在するものの,基本的には原野が多く,あまり開発が進んでいなかった場所であった(明治時代以降,安積開拓により大きく発展することになる。)。
そのため,郡山宿から会津若松方面に行く場合には,基本的には二本松街道(現在の県道64号線,同7号線に相当),白河街道(現在の国道294号線に相当)と言った,会津若松城下と二本松及び白河各城下を繋ぐ街道を利用していたと推測される(この当時,まだ現在の国道49号線に相当する道路は存在していない。)。
ただ,それでは大きく迂回して会津若松(及び猪苗代)方面に向かうことになり不便であるため,その距離を短縮するために,同峠や三森峠を開削したのではないかと思われる。
しかし,同峠を,どの程度の人が往来していたか,その点には疑問が残るところである。私自身は,それほど往来のない峠ではないのかと推測している(往来が多いのならば,現代の時代まである程度整備されていても良いと思われるし,同峠の郡山側及び会津若松側いずれの出入り口に宿場町に相当するような施設がないことが挙げられる。)。
もちろん,あまり人の往来の多い峠に山賊がいてもすぐに捕らわれてしまいそうに思えるし,とは言え,あまり人の往来の少ない峠に山賊がいても,身は隠しやすいのだろうが,反面食べるのに困りそうにも思われる。
山賊の話については,どうも眉唾物のように思える(ただし,それ以外の話,例えばハイカーやサラリーマン風の幽霊については,肯定も否定もする根拠のないところであるし,てけてけの話については都市伝説の部類に入るものであろう。)
何となく,その不気味な名前が先走り,その結果心霊スポット化している感が強い場所といえる。