令和2年1月16日 改訂
1 概要
厚樫山は宮城県との県境にある伊達郡国見町にそびえる標高289.4mの低山で,現在,山頂に展望台が設けられており,周囲を一望することが可能であるとのことである。
これは,以前,私の勤務先の先輩から聴いた話である。
その先輩の知人はアマチュア無線を趣味としている方で,ある夜,同山を訪れ,アマチュア無線を楽しんでいた。
すると,突然無線機から,「ザッ,ザッ,ザッ・・・。」と言う,ノイズとは違う足音のような音,また,何やら金属同士が擦れるような感じの音が聞こえた,という体験をしたそうである。
また,同山を訪れた方の中には,突然訳もなく涙が溢れてきたなど,不可思議な体験をした方もいるとのことである。
2 解説
実は,厚樫山は,文治5年(1189年),鎌倉幕府を開いた源頼朝の軍勢と,奥州を治めていた藤原氏との軍勢が激突した,「阿津賀志山の戦い」が繰り広げれた場所として有名で,大抵の歴史の教科書には載せられている程の場所である。
諸説あるが,同戦いの兵力については,源頼朝の軍勢が約2万5000人以上,奥州藤原氏側の軍勢が約2万人以上と言われている。
奥州藤原氏側は同山を拠点として防塁を築き,源頼朝側の軍勢を迎えたが,源頼朝側の総攻撃の前に破れ,奥州藤原氏側は指揮官である藤原国衛が討ち取られるなど壊滅的な損害を受け,そのままこの敗戦が藤原氏の滅亡に繋がることになる。
なお,単純に比較することはできないが,この戦いから370年後に発生した,激戦として名高い第四次川中島の戦い(永禄4年(1561年))においては,武田信玄側の軍勢が約2万人,上杉謙信側の軍勢が約1万3000人といわれ,武田側が約4000人,上杉側が約3000人の損害を出したとされる(諸説あり)。
つまり,戦国史上有名な戦いの規模をさらに超える兵力での戦いが、この場所で行われていたのである。
この事実を踏まえると,上記体験談でアマチュア無線で聞いた金属同士が擦れるような感じの音というのは,どうしてもこの地で散った武士が纏っていた鎧が擦れるような音のように感じてしまうのは私だけだろうか。
もしそうだとした場合,今から810年以上前の死者が幽霊が現在でも現れる,ということになるのだろうか。